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生きていたかったら行くのはよそう、インドのホーリー祭

インドには祭りがたくさんあるが、とくに三大祭りとされているのが、デイワーリー祭(カーリーの祭り)、ホーリー祭、ダシャラー祭である。有名な祭りというと、旅行者としてはのぞいて見たくなるところだが、インドの祭りに関しては、命が惜しければ、そんな気を起こしてはいけない。なにしろ、インドの祭りはカゲキ。祭りのピークには、外国人旅行者の泊まるホテルなどでは、「きょうは警察も動かなくて、危険なので」と、外出を禁止することもあるほどである。なかでもぶっそうなのが、三月ごろにあるホーリー祭り。冬作の農作物の収穫と新年の訪れを祝う祭りで、火祭りと水かけ祭りを合わせた祝い方をする。人々は、カーストや貴賤の区別なく、色とりどりの染料を溶かした色水や染料の粉をかけあう。祭りの準備は1ヵ月も前からはじまり、一週間ぐらい前から、祭りのための染料の粉を売る店が並ぶ。そして、子供たちは、「粉を買うための寄付」という名目で、通行人を止めては小銭を要求し、断ると、水鉄砲で色水をかけられたり、棒で追いまわされたりする。当日は、色水や染料のかけあいで、みんな色とりどりの模様に染まってしまう。しかも、なかには、興奮のあまりケンカをはじめる者もいる。何も知らない外国人旅行者が街を歩きでもすれば、色とりどりの色水や染料をかけられたうえ、なぐられたり、服を破られたり、ときには腕時計などを奪われたり。ほうほうのていで、ホテルに逃げ込むことになる。ただし、この乱痴気騒ぎは当日の午前中でおしまい。午後は秩序が回復するときで、人々は染料を洗い流し、新しい服に着替えて、年始のあいさつにまわりはじめる。

アメリカ人が住みたい町

最近、日本でも都市から地方に移り住む人が増えているが、アメリカ人にも強烈な「田舎志向」がある。若い頃は都会でガンガン働き、その金で老後は田舎暮らしを楽しもうというわけだ。そんなアメリカ人に人気があるのが、ニューメキシコ州のサンタフェとコロラド州のデンバーだ。また、アメリカでアートの街といえば、まずニューヨークが思い浮かぶが、そのニューヨークに次ぐ芸術都市と言われているのが、サンタフェである。スペイン植民地として開けた後、インディアンやメキシコ人が住み、それらが融合して独特の文化を築き上げた。街の周囲に住むプエブロ・インディアン・スタイルの民家建築とメキシコの植民地様式の建築が、ダウンタウンに集まり、そのエキゾチックな雰囲気に魅かれたジョージア・オキーフをはじめとする画家やカメラマン、彫刻家などがニューヨークから移り住み、一大ギャラリー街を築き上げた。特に「キャニオン・ロード」と呼ばれる目抜き通りは、インディアン・アートやサンタフェ出身のアーティストのギャラリーが並ぶアートでエキゾチックな通りだ。町の周囲には、ジョージア・オキーフらの作品を集めた「ファインアーツ美術館」や、「インディアン・アート&カルチャー博物館」があり、スペイン統治時代を偲ばせる「聖フランシス聖堂」や「グアダルーペ聖堂」といった古い教会も多い。

二十四時間空港といわれた関西国際空港

日本初の二十四時間空港といわれた関西国際空港の開港の際には、新千歳空港が少しだけ早く二十四時間運用を開始してライバル意識を示したりもした。しかし、土地とか水が豊富なことがただちに明るい未来を切り開いてくれるものでもない。そういうものがものをいうのは農業社会だし、工業社会でも重厚長大型産業中心の時代には有利な条件であった。だからこそ昭和四十四年の「新全総」から四十七年の「日本列島改造論」の時代には、むつ小川原や苫小牧東部、秋田湾の大コンビナート構想が注目されたし、水不足が心配された三全総時代にもその名残があった。しかし、これからの産業構造を考えれば、日本全体で見れば、土地あまり状態である。北東日本の未来を拓くのは土地でも水でもなく二十一世紀へ向けた前向きのフロンティア精神であるはずだ。フロンティアとしての北日本の開発には、光と影の部分が交錯した。東北・北海道は縄文文化の中心だった。